無造作なる探検 ■


トピックA

わーい、十月ダァーーー。
 かのCOMIC.HAND.JOBセンセイことCHJセンセイの、今後の、作品発表スケジュールがご自身のブログにて、明かされてたヨッ。
 それが、これだっ。

10月公開予定  OH-GON 黄金

11月公開予定 エイリアン&ジェラントフィリア ・・・アンド ザ ジョックス

12月公開予定 アンジェリカ

1月以降に適当に公開予定 オナニーくん  ゲロガエル  MURDER COP  BLACK METAL  チン拳2  その他色々・・・

 、、、なんか、一言でいって、モノスゴイですね。そう、思いません???
 同じブログの2010年11月26日の記事で、<近いうちに漫画のほうも新しいの乗っけます。既に完成済みの作品が大分あるんで当分は更新できますが>という一文がありますが、そういうことなのでしょうか。ここまで、さきが詰まってる、見通しが立ってる、というのも、すごいですね。どんだけ書き溜めてあるのかないのか。1作1作、ということだったら、こんな風にタイトルを、列挙できませんよね。じつもって、お口をあんぐりもののお知らせではないか、と思えます(とりあえず、10月のうちには、──うまくいけば──、われわれは『OH-GON 黄金』が見れそうですよ!)。
 そう、、、いろいろとこのセンセイに対して思うことはあるんですが、で、どんどんそれは積もってきもするようなんですが、思うに、このセンセイ、その死後にもっと評価される(いまの評価がどんなんか知らんけど<笑>)かも知れないですね。”コマン””オメコンダー””便器のやつ”にしろ、”スモウのやつ”にしろ、ああいったもので、それがあたかも吐き捨て場ででもあるかのように書き下されている内容って、”今”で捉えられるよりもむしろ、”今”経由しておいて、いつかの未来に”過去に経験したもの”としてそれが顧みられるとき、よりいっそう、真価を発揮するかも知れない。そういうばああいう作品・作者があったなぁ、と。強烈に突き刺されたある時分の”今”として、未来にこそ、それが甦る──。ことのほか、自分のなかに残ってしまっている、ってな形としての、おおくのひとのその再発見によって。っとね。じっさい、そういう系統のお仕事かも知れないよ。まあ、いわば、幻の表現者、とか、幻の作品群、とかいった具合にねぇ、あるとき、、、た~んっと。なんかそうなる資格がおおいに、、、あるような気がします<笑> ──いやっ、知らんけど<笑> 少なくとも、偏執とか、恩讐みたいなものの、けっこう近くにいってるんじゃないですかねぇ、ああいう表現として、──あんがい本人にとってさえ、我しらず、、、のうちに──。でも、思っているより、ずいぶん遠くへ、、、けっこうな高みへと、行くかも知れません、この、CHJセンセイ。そうですねぇ、、、死後などといわず、少なくとも『チン拳7』が出るころあたりには<笑> すンごく評価されてるかも知れない、、、いや、ほんと<笑>
 おれからいわせれば、共通的に汎用的な思想性に乏しい、だからゆえに、その作品はひとり遊びのような箱庭・趣味世界になりがちなんやけど、その選択する題材がキーとなって、およそ作者の制作意識とはけっこう離れたところで、異様に、、、そして強烈無比に、腐敗的に爛熟しているような世界、、、が、形成されようとしている。そして量(作品群)であろうとすることが、つまり、やまずその発表が続けられようとすることが、ますますその世界に厚み(説得性)を持たせようとしている。一作一作というよりは、活動総体として、なんだか、高いところに向かっている感じが、、、しないでも、ない。こういうのは、およそ、”今”の向き合いだけでは評価しにくい要因ですよね。まあ、私も、CHJセンセイの作品を読んでて、その時々に、しょーもなぁーとか、じっさいよく思ってるんですけど<笑> でも、このセンセイからは、なんか、目が離せない感じが持続しているんですよねぇ。う~ん、まあ、ってな、感じです。今回、またッ、向後、これだけ発表していくぞー、という、CHJセンセイからの予告がどどーんと出てましたので、私なんかは、こころのなかでひとり、舌を巻いてたんですよ、、、う~~~ん、あいかわらず、こりゃあスゲぇなぁ、と。どうあれこうあれ、すさまじい、、、勢いがある。     

  

10月・木曜日

ただいま、CHJセンセイの『チン拳』───、
 読み込み中、、、読み込み中、、、読み込み中、、、、、、、、。

チン拳』読後之私的心緒列挙!

0.CHJセンセイの作品『チン拳』をたぶん6、7時間まえ(昨日7日の昼ごろ)に読み終わったので、思ったこと、また、いま思い返して思いつくことを、その流れのままに、並べてみますね。
1.”酔拳”は、お酒に”酔”っての、”拳”法で、”酔拳”でしょ、”チン拳”は、そのもの”チン”を用いた拳法なわけです。チン、っていっても、アゴじゃないよ。それです、それ、例の。ついでにいえば、”チン”だけじゃなくって、お供も。助さん格さん的な。それも。その、”チン拳”の使い手というか、まあ、教えに背いて破門されたとかいう眉毛海苔(ノリ)のムキムキ男が主人公なんです。ヒロインも出てきまさぁね、それは”マン拳”の使い手でしてね。まあ、悪がおりまして、こいつがとんでもないやつで、かれ的には「おれが悪、、、!? ははは。おれが、悪、、、???」みたいなことで、悪を悪と決めるのはひとつの見方に過ぎん別の方からみりゃあまるでおれは悪ではないみたいなことをちらっといってましたが、この悪(?)が主役両者の大事なひとを殺してしまったんですな、ひとえに、じぶんの思いを実現するためだけに、、、んで、敵討ち、なわけです、”チン拳””マン拳”、、、使い手両者の。
2、もともと、ものを知らないパッパラパーなわたしですが、この『チン拳』、読んでいると、なにがなにやらわからなくなってきますね。自分がなにをしているのか、ふと思えば、わからない。こういう作品をつくっているひとがなにをしている、ということに、この世の中で位置づけられるのか、とか、そういうことも、よくわからなくなってくる。炸裂し、随時突きつけられる世界観に思いっきり酔ってきます。自然、正体をうしなう。ただ、そのような内容をもつ、マンガが、ちゃんとつくられていることだけは、わかります。わたしなりに、この作品をたとえてみたいんですけど、ひとつに、薬物的なマンガかも知れないですね。読んでいるうちに、正気的なものが弛緩して、じょじょにものの道理みたいなものが覆っていくような、、、そんな感覚になってくることにおいて。それと、もうひとつには、、、
3、日本語は日本語でしょ? 英語は英語だ。そういう意味で、このCHJセンセイ、その絵柄の様子とか、類まれなる下劣さだとか、んで、やっぱり、ロック精神みたいなもの、それらの融合において、独自の表現記号をマンガ作品という形で生み出しつつあるのかも知れないですね。それは、芸術的であるより、より個人趣味的なもので、造語ってありますよね、、、個人の造語的な、そんなマンガ表現になってる気がします(──日本語、英語に、CHJ語だ)。だから、ある程度安定したこの世の現実に関連するよりかは、個人(作者)がひらく趣味世界的な別世界になっているんですよね。そこで、もうひとつに例えるとすると、ある独自の表現記号として、たとえば、古文書に向き合う、みたいなもんじゃないですかね。なんか、象形文字とか、あんなやつに向き合うのと変わらない。現実に関連するより、別世界につながっている。だから、切り離されたような世界なので、この世界の判断を持ち込んでも、あんまり意味がないんじゃないでしょうか。そういう、独自の表現記号を生み出されようとしている。まあ、ほとんど、独自に取得してしまっている。だから、そういうことに、この世をある程度この世として生きていくうえ、かかわりあうことに、いったい意味があるのか、ないのか、さっぱりわからない。なにせ、古文書を読み解くわけですから、隔絶してますよ、普段のもろもろの行いと。下劣だとか、目を覆いたくなるようなもんだとか、そういう、一般的価値とあんまり関係ないですよ、たぶん。関係あるように見えるけどね。個人の造語的言語、そういう世界観を受け入れるか受け入れないか、でしょう。もちろん、ふつうに現実の表現として、汚いとか、けがらわしいとか、醜悪だとか、、、あと、いくつでも思いつきそうなそういう判断を下すことは可能ですけど、ないじつ、そういうもんじゃないと思いますね。べつの表現記号が独自に創造されようとしている、、、今回はそんな感触を得ました。CHJ作品によって酩酊にいざなわれるよう去来する別世界、、、ある、決定的な個人(CHJセンセイ)の世界、およそ閉じられた世界、、、読んでいる間は、そこに生きる自分を感じます。といいますか、生きざるを得ない。イヤもなにもなく、読んでいる間は、その世界に生きざるを得ない。CHJセンセイの作品は、そういうもんになってきてるんじゃあないでしょうか。これが、わたしが今後もわたしのふつうのある程度落ち着いた人生を生きていこううえで、なにを意味するのか、それはさっぱりわからない。ただ、CHJセンセイの作品を読むということは、わたしにとっては、そうやって、世界と世界との、境界をまたがざるを得ない、ということになっているのだと思います。わたしの普段の思考は緩んでいきます。CHJセンセイは、およそ平易ながら、やすまず下劣なことを繰り出してきます、それは、この方の世界への、牽引です。ここで現実にしっかり根をはっているひとは、単純にその世界を、気持ち悪い、エグい、グロい、といって引き返していくか、あるいは、趣味が合致して、おお、おもしれぇ、といって、この世の方に体重をわりあい置いたまま、鑑賞しつづけ、面白がるかするでしょうが、わたしのようにあんまりたしかにこの世に根を張っていない人間の思考は、別世界にひきずりこまれるように、同化していくかのようです。気づけば、境界をまたいで、向こうの世界に行こうとしている自分がいる。して、自分が、こういうマンガ作品を読むということで、いったい何をしようとしているのか、さっぱりわからなくなってくる。まあ、わたしの場合は入りこみすぎなんでしょうが。ふつうにマンガとして、CHJセンセイの作品に接する場合、ひとは、だれかれの別なく、このセンセイの作品に対する、自分自身の立ち位置を、はっきりと、問われることになるでしょう。好きなのか、嫌いなのか、あるいは、耐えられるのか、耐えられないのか、、、さあ、君はいったいどんな人間なのだ、と───。      

10月10日

毎日のように更新されているらしき、べっこう飴センセイによる4コマ『ちもちも』。ポケモンのなかにいそうな、かわいらしいキャラたち(ちもちも、ほよほよ、はみはみとか)がなんということない、やりとりを見せてくれています。──の、なかで、異様な雰囲気をなんとなくにおわせているのが、もゆもゆセンセイ。異世界・動物キャラたちがおりなすのんび~~~りした日常風景のなかに、それとない顔付きでそれとな~~~く混ざっている、、、もゆもゆセンセイなのでした。もうひとつ。同じく4コママンガは水色センセイの『魔王の城のプリンセス』。魔王らが手のものによって、ある王国に対抗すべくさらってきた王女さまが、かかる王国の変動によって、その人質としての利用価値を失って、コミカル悪役の魔王らにとってみて、さあいったいどうしたもんか、みたいなことになって、結局、そのまま魔王の城に居ついてしまう、、、? みたいな感じで、いよいよ、これから、さまざまな物語が幕をあけていくようです。

10月11日

Bruno Wangセンセイの『Hasta la vista』を。
 これ、すこしく前にのぞいて、ええ感じで、でまあ一応リンクはしていたんですけど、サイトの作りが非交流的というか、突き放したようなあんばいで、だいたいまあ、和気藹々しきに、ブログがあったり、コメントのやりとりがあったり、ってな暗黙の規格があったりするもんだと思うんですけど、なんか、とくに説明もなく、とくに作者センセイの自己紹介もなく、マンガがぽぉ~んと置いてある感じで、それでいて、サイトの様子にしろ、当のマンガにしろ、雰囲気がこぼれるよう満ち足りておりまして、なにもんなんやろう感があったんですが、ひさびさにのぞいてみたら、冒頭お伝えしたタイトルのマンガが、ちょっと、更新されていたので、また今回、はじめから読み返してみました。
 怪しい、、、。大学生。ひとりの男子は、写真の才覚があるのか、なにやら自身の撮影したものをもって受賞した、みたいなひと。そのひとが、目撃するのです、構内で、ひとが、落下するのを。で、そのことに関わりある(らしい)もうひとりの男子。闇のおりた、その現場に、居合わせ、写真とりのかれと対面する。で、なにか、このひとが、あきらかに秘密をかかえているらしいのだが、肝心なところは聞き出すに至らない。落下は、公的には、自殺と断定されたようなのですが、まあ、事件の明くる日の教室にて、その秘密をもっているらしいかれは小刻みにふるえていたり、、、その様子が尋常じゃない。写真とりのかれは、結局、事件当夜のことを自身の胸のうちにおさめる方向に動き、その、いわば怪しいかれとの秘密のようなものの共有をきっかけに、ふたりは距離をちぢめ、だんだんに、親友みたいになっていく、、、ってな感じなんですが、まだまだ、ナゾばかり。作品の様子は、、、もうっ、しっかり作り込まれてますね。頑丈ッ。作者の用意周到(そう)な確信が、そのまま、マンガ作品という形に(現在進行形で)なっていっているような感じですね。絵にしろ、お話にしろ、ほとんど、スキというものが、ない。それでいて、奥(物語の成り立ち)が深そう。ひじょ~~~に、魅せてくれます──(まあ、表題の意味すらわからない、、、そんなわたくしですけど<笑>)

October 14

橋田センセイ青春純情巨編『自転車』はその最新話が! ほんじつ、タマキくんは体調を崩しているみたい。横になり、そうして安静を得ながらも、ゆめかうつつか、かれのこころをかたときよぎってみせるものは、、、。
 arareセンセイはいきますっ、『本屋その後のその後』。ひとつ前に、”本屋その後”というのはたしかにありました。、、、どこまでいくのでしょうか??? この際、お楽しみはあとにとっておこう精神にのっとりわたくしめはまだ読んでおりませぬが。そしてそしてのっ天下無双の風変わり御仁、CHJセンセイ! 予告どおり、10月の新作『OH-GON 黄金』を世に問うッ! これまたわたくしめは2、3ページそれとなくのぞいたのみっ。いずれ、いずれ、、、すべての道はローマに通ず、、、そうです、避けては通れぬ道、、、。さらにっ、ぽろんぽろんと断続的に読んでおりますは、マナバナイせんせいの『魔法使い~Wizard~』!!! これは長大な作品でして、未来が舞台。されど、ひとむかし前のような、現代の文明へ発達する以前へと逆行した様子とも思える光景がひろがっておりまして、、、。未発達的とも思える村、感情表現が苦手で、うちにこもりがちの少女、これ、魔法使いっ。魔法使いというのは、超人的な身体能力をもつもののこと。戦車とか、銃とか、そんなものでさらには多数魔法使いならぬ常人がいたところで話にならぬほどの力! 用心棒的に、各村が、おのおのの魔法使いを雇い、、、。戦争において、それぞれの陣営に魔法使いがいる場合は、かかる魔法使い同士の一騎打ちにて、戦争の勝敗を決するが法、らしく、、、。迫力ある戦闘の光景がひろがっていくのです。、、、、印象としては、チョウさっぱり! 有効範囲が狭い、とでもいいましょうか。そう、射程が短い感じの表現ですね(第3話現時点で)。肉弾戦的なマンガです。そのかわり、あとをひくものはありません、つまり、さっぱりしているのです。余韻が放棄されています。表現は発動し、つぎの瞬間に終息します。そういう感じで、余韻もあんまりなく、ぱっぱっぱっぱっと、常時接近戦をくりひろげる如くに、──わりあい──、戦闘シーンはもちろんのこと、少女魔法使いの様子、ならびに彼女が所属している村びとたちとのかかわりあいなんかが描かれていきます。その場こっきりのマンガ、という感じでございます。そこに───、約束された、、、一定の楽しさを見出すことが可能です。

October 19

いままで読んできたマンガのなかで、一番印象にのこってるマンガは? ときかれたら、、、、諸星大二郎プロの『海神記』っ、と答える(だろう)kureoです。
 じつは、制作が進んでいることがサイトのなかで告知されていて、その完成を楽しみにしていた、んで、ついさいきん完成したことをしって、おお、読もうと思っていた、青磁センセイの『レディ・ライオン』、を──。
 冒頭の辺からは、これまでに『Night Worker』という作品なんかで感じた、作品のなかを流れる自由な空気にあたったようで、ここちよかったんです。レディ・ライオンという、ひとをひきつけるという特殊な体質をもつおんなの刑事さん、で、新しくやってきた、男性刑事ジェラルド・ロスがそのパートナーに。このふたりが、ひとがつづけて殺された、その事件にのぞむ──! ていねいにつくられています、、、けど、こじんまりしちゃってるかも、、、。というのは、だんだん、在来のお話の方へ寄っていきすぎちゃったのかなぁ、と。つれて、特徴が、希薄化していってしまったかも知れないなぁ。その辺、もちゃもちゃと込み合ってるかも。込み合ってるというのは、うまく整理されていない、すっきりしていない、差し出口でしょうが、まだ洗練する余地がある、、、みたいなことで、ありものとしての完成へ向けて、やや、もたついている感じがあった、、、かなぁ。このもたつきは、青磁センセイの独創性の不発の感じで、話をつくろうとすることと、自分なりの表現というものが、うまくかみ合わずに、典型的な話としての完成を拒んで、なお、青磁センセイの特徴とか特性みたいなものを殺ぐ、という、結果になってるんじゃないでしょうか。中盤以降、つくられようとする話に対して、そういう、もたつきを感じましたね。話の組み立てにももっと、青磁センセイの願望とか、気持ちとか、ちょっと理不尽でもわがままとか、そんな個人的なものを、含めていったらいいんじゃないでしょうかねぇ。なにか公式的なものをめざすはめになって、わたしが感じる青磁マンガの魅力が、ちょっと生きてないなぁ、という感じがしました。読み始めのころは、なんかイイなぁと思ってうきうきしてたんですけど、そういうのがちょっと、読み進めていくうちに、しぼんでいきましたかねぇ。今回は。

October 19 second

もうひとつ読みました。かのCHJセンセイの『OH-GON 黄金』。
 、、、死──過程的であるほかない生全般に対する、結論志向的な、ある種の、ひとつの割り切り方──と、それに付随する(ような)暴力──直線的な方法、情念そのものとして発動するような種類の──と、あと、肉欲、──内在し顕在化しようとする生と性の衝動──そして、排泄物──個体が世界で生命を維持するために取り入れたものが取り入れた後のものとして蓄積している、、、間接的に直接的(個体において変質しているため)なその個体の臭気漂う存在証明──、、、これらが、CHJセンセイの主要な表現記号だと思うのですが、くわえて、そういえば、、、というのが、今回もセンセイの作品を読んでて出合った、ウラ側への目線(あるいは俯瞰)。この前読んだ『アナルアン・ムーブメンス』なら、新興宗教、とか、まあ、今回なら、猫も杓子もの”イケメン・ブームだとか、そういうものから、ちょっと、距離を置いてますよね。あとは、実情、みたいなものですよね、ほんとうはこうだ、とか、奥の奥では、世界は、あるいはある物事はこう動いている、だとか、そういうウラ側への目配せ、、、みたいなもの。今回も、終わりの方では、まあ、わたし的にはおまけみたいなもののようにも思えましたけど、そういうのがありました。
 いや、面白かったんですっ。なんか、うまくまとまってるんじゃないんですかね。今回は、わたし的に面白い方向に行きました。、、、というのも、CHJセンセイの立っている場所って、ある種の、芸術的な昇華みたいなものを期待するわたし的な面白がり方ではないところで、勝負が行われている、と、『チン拳』なんかではすんごく感じられたんで、いよいよ、そういうものへの理解が、にょきにょきとあらわれだしているCHJセンセイの作品群にこれまでのぞんできた経験からしても、順応するよう、自分自身に備わりはじめてきた──なぁんて思っているわたしとしては、この『OH-GON 黄金』にしろ、その、わたし的な面白がり方の出来る道筋からは外れていく(別の方向へ行く)んだろうとだいたいよんでたんですが、これがまあ、意外に、わりあい合致するような形で進んでいったんで、”期待を裏切ることを期待する”、、、そんなわたしの気持ちを裏切る方向へこんかいは行った、、、ってな、感じだったわけです。わたしとしては、最後のところがなぁ、、、と思いましたが、全体的に、うまくまとまってるんじゃないですかね。
 ここ(この作品)に書かれていることって、けっこうツーレツなんじゃないんですかね。 たぶん、こんなこと書いてると、CHJセンセイ自身には嘲笑されるかも知れないですけど。マジメさはマジメさとしてあってもいいさ、けれど、そんなものはゴミゲロ(ひとつの身振り)さ、ってな感じで。で、わたしが作品というものへかけている期待についてついでにいうと、たとえばゲロ(なかなかの言葉ですけど)であったとしても、そのゲロをなんらかの形で昇華していることをまあ、自然的な態度として、のぞむ、みたいなことだと思うんですけど、CHJセンセイにみる表現って、ゲロをゲロとしてしかおよそかかないんですね、過去、読んできて、わたしがしょーもなぁと思ってたことって、大体その周りにあるようなことで、しかし、『チン拳』あたりで、なんとなく、目からウロコ的な感じがあって、このひと、なんか、ひとつ突き抜けつつあるな、って感じがあったんです。それは、ゲロをゲロとしてしか描かないこと、まあ、表現とか、固まってしまっているようなものの破棄、、、そういった、まあ、ふつうに考えて、そうとうにきわどい独自性ですよね。わたしの芸術的昇華への期待、みたいなものも、そう。凝り固まってしまっているようなもの、でしょうね、きっと。そういうのが近頃感じられてきたんで、、、、みたいな流れだったんですけど、今回はわりあい、表現的な感じになっているんじゃないですかね。いつもなら、黄金──尿──は黄金なんですけど、わりあい、たまたまか知りませんけど<笑> 今回の作品なら、黄金は”黄金以外のもの”へと、昇華されている感じがありました。まあ、蛇足ですけど、”ウ○コ”なんかも<笑> まあ、今回は、そんな意味で、”わたし的”にもひじょ~に面白かった一品でした。     

 

10月です、21日です。雨もよいです。

この前、短編『蝉少女』がおもしろかった少瓶センセイ(少女瓶詰地獄管理人センセイの略)の『27』を。
 制服を着たひとびとが登場します。高校のようでした。主に照明があたっている男子が二条さんでして、同じく、女子の方が七瀬さんでした。見る目に抵抗のない、美しきひとたちであります。二条さんですが、わかものらしいわかもので、オスらしいオスの様子が見受けられ──、いっぽうの七瀬さんには、なにかすこしありそうですね。すくなくとも、同級生たちなんかからはなんやかやうわさされていましたよ。わたしは1話と2話を読みましたが、まだまだ、つづきがあります、、、。読みやすいですよ、同じくらいの世代のひとは、共感とか、あこがれとかの眼差しで読むのでしょう、わたしはすこし世代がズレてますから、ふたりのわかものの繊細な、やりとり、触れ合いなんかを、覗き趣味のようなものを満たす目で、眺めているのかも、、、知れないですね。マンガを見る、という形式においてなら、そういうことも許されるのですね(、、、よかった、よかった)。若い、ということは、輝いているものですし、かつ、うるわしの人間たちの像がそこにはあるわけですから、なんか、まあ、ふつうに、いいわけです。
 お話としては、いよいよこれから、なんだろうなあ(1話2話読んだだけですからネ)。わたしとして、ここまで読んで、おもったことのひとつ、ふたつとしては、画面が白い(空白が目立つ)のかなぁ、というのと、こういう恋もようを描くのって、自分自身の経験をそのまんま描くのでないのだとすれば、ちょっと、むずかしそうやなぁ、ということ、とかですかねぇ。今回なら、作者センセイは女のひとなわけで、まあ、つくるについては、男性を描くわけですから、ねぇ、、、性を乗り越えてるわけですから。お話をつくる、、、という、まあ、一般的なことにはなってますが、奇怪な冒険がそこ(創作)ではおかされていますよねぇ。その辺がどう出るか、ということは、かならず、とくに今回のような恋のお話なんか、もろに、作品の厚みというものなんかに、影響してくるんでしょう、、、。作者は、作品全体(男女両者)を統括するひとで、なお、自身、ひとつの性でしかない現実にあったとして、それを行うひと、、、なわけですから。単に現実をマンガへとうつすのでない、とすれば、そこにはなにか、が、まあ、とうぜん介在しなければならないはずで、、、。その辺が、けっこう、キーになってくるんじゃないですかねぇ。まあ、女性作者がかいて、女性読者が読むうえでは、女性的男性像で十分なのかも知れませんが。その場合の、作者の表現性と、読者の読み心地が符合するならば。べつに、男性がじっさいにどうあるかがさほどに問題なのではなく、女性にとっての男性がどうあるか(たとえば、どうあって欲しいか、等)、がえがかれていれば。すこしの(最低限の)男性要素などを汲み取って、それであとは、ひとつの性(女性)の世界であってもかまわないのかも知れません、、、し、それが、ひとつの、かかる作者センセイがおよそひとつの性でしかないことの問題の乗り越え方なのだろうと思いますが。それでいえば、いまのところ『27』の世界は、女性的世界、の気配がつよいですね。出てくる男性(男子)たちは、女性のフィルターをとおしたかれら、という感じがつよい、、、かな。この辺のことは、考えれてみれば、もっともっと深いところにいきそうな感じがしますけれども。まあ、また、そのうち、作品のつづきを。

10月です、22日です。雨がふってます。

昨日につづき少瓶センセイの『27』、第3話を。、、、まだ、作品の呼吸(ペースみたいなもの)が、あんまりつかめてない感じです。ぼつぼつ、読んでいってみたいと思います(今回は、前回の流れを受けて、二条さんが煩悶しておりました)。
 橋田センセイ『自転車』は記念すべき30コめ。”風邪”の2つめになるわけですが、これを読んで、前回の、たまきくんの「死にたい、、、」という言葉、そしてその感じが生きてきますね。なんか、見せ方が巧みですよね。押し付ける感じではなく、それとなく、、、にじむように伝わってくる、、、。橋田センセイのひとつの特徴である、”おくゆかしさ”がちょっと出てますよね。、、、惹かれます。わたしにお金があれば<笑> 本にしたいなあとか、ひとりで思ってたりするわけなんですが<笑> まあ、いろんなひとに、読んでもらいたいですねえ。、、、なんていうか、そう、、、人間に対する”慈愛”みたいなものを感じないでもない。しずか~で、ふかい愛情──、みたいなものを、ね。ちょっといいすぎかな<笑> いやっ、でも、橋田センセイの作品には、実際、そんなような感じが漂っているんですよ。なぁ~んか、大切なものがつまっている、という感じが。歯がゆく、そして誇らしくあるのは、それがあんまり前に出てこないようなので、みつけづらいものかも知れない、ということ(わたしはどっちかっていうと感じ取ってるぞ!ってことで、誇らしい、ということになるわけですが<笑>)。おくゆかしい表現と、自分をあんまり堂々と売り込まないこと、は、きっとひとつの性質の、ふたつの面なのでしょう。そこに、わたしの、『自転車』をはじめとする橋田作品に対する歯がゆさと誇らしさが因由している。センセイ自身は、淡々と、もちろん日々の悲喜と出合いながら、作品の火を絶やさずつむいでこられたわけで、1年を越えて、『自転車』なら、それがつもりにつもって30コにもなったわけで、、、あおばセンセイの『イチゴなっつ』(久しぶりやなぁ<笑>)なんかもそうですが、長い時間の結果、、、みたいなものって、端的に、人間のある種の尊さ、みたいなものをあらわすと思えるんですよね。例えば年齢とかがそうだと思うんですが、5分は5分であって、5分で30年は生きられない──そのときの30年、という年齢(月日)って、そのときそのときの時間がつもったものなわけなんですが、そのときどきの時間をはるかに越えた、結果としての、人間の営みの尊さ、大きさみたいなものを示しているんだと思うんですね。そこには、ちょっとした思惑だとか、こざかしさは通用しないですよね。30年という月日は、1ヶ月だとか2ヶ月だとかの、われわれの生きる日常の周期を越えてしまっている。そういうのは、まあ、今回の『自転車』、そして『イチゴなっつ』の営為なんかについても同じなんですが、、、”おおきな人間のすがた”を感じさせるんですね。日常のつみかさねでありながら、かかる日常を越えてしまっている、、、ようなものを。個人的には、こういう目線でなら、歴史的祝祭も、個人個人の誕生日なんかも、こころから、祝福する気になれます、ほんと。
 ───橋田センセイっ、『自転車』30コめ、おめでとうございま~~~す。       

 

にじゅうよんにち・げつようび

よみました、きょう、はしださんがかいた、、、やま+やまというのの、あたらしいのが、はしださんちをのぞいたら、おいてあったので、よみました。あったのは、きのうしりました。でもそのときはよみませんでした。でもきょう、よみました。やまのいさんという、おんなのひとは、ちょっと、おとこのひとみたいなかんじで、しゃべってて、タケルくんのいえで、あそんだりしていて、タケルくんに、おとこのひとみたいなかんじでかいわしていて、でも、みためはとてもかわいいです。タケルくんが、つきあってるかどうかをきいて、やまのいさんはなにいってるのといって、わたしにはかれしがもういるといって、わたしのことがすきなのとタケルくんにきいてタケルくんはめちゃくちゃあわててたのがめちゃくちゃおもしろくてわらいました。ぼくは、やまのいさんとタケルくんがつきあってるほうがいいとおもいました。かれしがいるといわれて、タケルくんはこころのなかで、しょっくだとおもいました。とてもかわいそうだとおもいました。でも、まだかのうせいはあるとぼくはおもいました。タケルくんはあきらめないほうがいいとおもいます。ふたりはすごくなかがよさそうで、なんにもかくしごとがないようななかみたいでした。みているととてもいいきもちになります。ぼくのともだちは、みっつめのバイトをはじめていそがしくて、なかなかあえないのがさびしいです。ぼくも、まいにち、おかねをかせぐのにひっしのぱっちなので、たいへんで、かなしいです。ぼくは、また、やまのいさんと、タケルくんにあいたいなぁとおもいました。そして、やまのいさんと、タケルくんが、おたがいに、かなしかったりさびしかったりすることがないようになればいいなあとおもいます。きょうは、あとは、ぼくは、りんごをたべて、てれびをちょっとみて、はみがきをして、それでねます。あしたは、あめがふるとてんきよほうがいっていました。あめは──、、、、       

トピックB

”10月度月間チャンピオン”の表を、整理しました(おもての頁の”10”とかかれた、ちいさなやつをクリックしていただければ見れます。ひとつ、見てみてください)。そこで、その、10月度ウェブ漫画たちの所感を述べてみます。
 1位は『チン拳』。2位が『少年時代』。これは迷いました。どっちを1位にしようか、、、。わたしのなかで、この2つのどっちかが、、、という感じは動かせなかったんですが、まあ、迷いました。『チン拳』は、(あくまでわたしのなかで)『DEATH METAL』でブレイクし、その後、沈滞していた(感のある)CHJセンセイの作品が、その作品傾向、そしてその表現性が、再度ブレイクした、ひとつのポイントになったかと思います。CHJセンセイの存在は、わたしのなかに深く刻み込まれました。一方、その『チン拳』の向こうを張った『少年時代』、、、ですが、これは良質。作者雫センセイのやわらかさを感じさせます。これは貴重な資性だと思います。たぶん、すなおに、人生を生きてはるんでしょう、こわばりがない、で、(話・表現、が)洗練されてるのは、好きこそものの上手なれ、みたいなものを地で行くものでしょう。読んでいて、ほんと~~~に気持ちよかった。でも、最終的には、圧倒的であるその独自性をとって、『チン拳』に軍配をあげました。3位は『Hasta la vista』。これはもーしょーがないですね、よく出来てるもの。なんか。で、なんか表現しようとしているような感じやし。イイです。サイせんせい『わが腕に錨をおろせ』が4位。これは以前、エエ話や~と思ったそのまんま。もう一回読み直してみたんですが、やっぱしエエ感じでした。5位は橋田センセイ。これはも~ッ、イイんです<笑> で、6位にお名前がわかりませぬ、?センセイの『TRANCE ORGEL』。滾るものがあると思います。小便臭い? いやいやなんのその。7位は同じくCHJ作品。『チン拳』に比べればその量が違いすぎる。小品ゆえ、くだってこの順位、という感じ。ただの量の比較じゃなく、量がそのまま質に通じてる。『チン拳』はその長大な作品をたどっていくうちに、こっちの主体性のようなものが制圧されていきましたので。ごちゃごちゃぬかさず、おれのやることを、だまってみておれ、という感じで。迫力というか、その作品世界のたしかさの違いが、量の違いと、通じ合っております。8位はarareセンセイの『わたくしとぼくの夏遊び』。エンジンかかるごとく、だんだん面白くなってきましたよー。行方を見守りましょう。9位はもひとつサイせんせい。で、10位は少瓶センセイの『蝉少女』。どっちも、よかっしゅ、といったところでしょうか。おもしろかったです。あと気になるのは、14位『彼の微笑』、ですね。ちょっと、今後どうなっていくのか、気になります。また、時間をおいて、いくらかまとまった量が更新されていたら、そのときに読んでみたいと。
 さて、11月には(まだ10月ですけど)どんなマンガとの出会いがあるのでしょうか。引き続き、、、意欲絶えぬうちは、ぼつぼつ読んでいってみたいと思います。

2011年度11月突入3時間まえ

思うのですが、けっこう、つよく思うのですが、重心って、大事だと、ね。重心の狂いの無さとか、安定って、ときどきに生じている歪みの補正、これが、大事なんちゃうかな。偏りとか、また、それによって生じているだろう凝り、みたいなものの解消に向けて、、、。橋田センセイ最新作『やま+やま』第10話はまさにそんな感じ。重心(ならびにそれをとるための補正)に狂いのない御作品、しかと、拝読させていただきました。

 少瓶センセイ『27』は4話め。、、、なんですが、前回読んで間が空いたことあり、けっこう、名前とか、忘れてました。高校生男子・二条くん、と、同じく高校生の女子・七瀬さんのやりとり。平坦に、そう、いってしまえば、大きな出来事はない感じながらの進行が続いている気がします。で、鋭敏な、ふたりの若いひとの行動、こころもち、世界が用意するめぐりあわせ、シュチュエーション。おおきな出来事がないその、平坦な感じのことをいえば、かかるふたりの様子を、ていねいに、顕微鏡をあてて視る、みたいなところなのかなぁとか、思ったり。作品をとおして、間延び感があるきがしているのですが、それも、だんだん悪くないのかなぁとか、思えてきてます。また、つづきを。そうそう、二条くんと、同級生のともだちらとの会話が雑多で、わりと多量で、作品のひとつのおおきな柱になっている風ですね。わいわい感が出てますよね。あ(さらに)そうそう、こんかい、バスのなかで二条くんに思いを言葉にして伝える佐原くんの様子がありました。いつもの友達同士のわいわいな感じではない、ふとした思いやりを、言葉にする、そんな様子が。