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どうもこんにちは! くれおですっ。さあいきましょうッ。
 え~~と、霖雨永奈まぼろし大センセイ、『彼の微笑』───。
 センセイのこの、霧灰というサイト、なんのきなしに、ぶらぶらしてて、そのなかでたまたま足を向けたんですが、どうも、去年の12月に作品、読んで、それぶり、、、みたいで。そのときは第1話が出来てたんですよ、で、今回第2話のおわりが、、、わりあいさいきんに出来上がったって表示されてあったんで、ぼこぼこ、いくたりかの興味をおぼえて、ふいっと、世界、ひらいてみました。、、、、、、
 まえ書いたかもしれないですけど、つかみどころのない世界なんですよねぇ、ふつう生活するひとびとには重力が、、、っていうことからすれば、その、重力がそもそも欠けたような世界で、、、───第1話(題名が)”灯街”。目にちらちらかかるくらいの髪にかぽっとまるまる頭をおおわれた男の子が劇演灰曲(げきえん はいき)で、ミルパーの教人だという、かれのまえに突然あらわれたそのもの影っぽい服をまとったナガ髪の女性が、紫明桜飛泉(しあさ ひせん)ということで。
 もちろん(???)、ミルパーも教人というのもなんだかわかりませんし、灰曲自身、記憶をどうやら喪失して、さまよってて、ジブンの名前も、なにかよくわからないこころの後押しみたいなんを受けて思い出しているような次第で、その、灰曲本人もそうでしょうが、読み手としても、ちっとも、要領を得ない。作者センセイは、世界の説明を、ほぼ、しません。読者は、不安定なまま、そして、この世界が単なるデタラメのようなものなのか、あるいは、そうではなく、この世界がこの世界として成り立つ理由やら、根拠(たしかさ)のようなものを具備しているのか半ば宙吊りにされたまま、説明のない、無重力的な世界へと道をすすんでいくことになります。記憶をうしなって、じぶんの存在をいかようにも判断・確定できない灰曲が、ほかにどうしようもないので、とりあえず、、、「行くあてが無いなら、私と行きませんか?」ともちかけてくる飛泉に、ミルパーへと、導かれていくのと同じように。
 で、前読んだ記憶をよみがえらしつつ1話をたどって、今度、新領域、第2話”森の住人”に向かうと、はれっと、別の質感に遭遇したりして、面くらったんですけど、、、というのは、生活重力みたいなものが或る人物や話の様子にある程度もたらされていたんで、、、しかし、説明を多としない製作態度はかわらず見受けられ、、、それは、一種の、ヒヤク、みたいなものですね。話の構成として、あるいは、単純に、コマからつぎのコマへとうつるその描写態度として、そっからそこへいくかぁ?式の。まあ、べつにそんなオオゲサではないですけど、そういうヒヤク・説明バッサリの要素はやっぱり感じられます、あちこちに。でも、これって、この霖雨永奈セカイにおいて、大事な柱かもしれない。さて、登場する人物の誰が誰なのか、瞬間、判別に労があったりしたんですけど、それも、同一人物を描写する上でのヒヤクとか、ズレとして、むしろなんか、悪くないなぁとおもって、わたしは読んでました(なにげない一コマが、断裂的に、精彩を放っている、とでもいいましょうか)。
 ”森の住人”の終わりまできましたが、あいかわらず、なにがなにやら、よくわかりません、でも、作者センセイのセンスとか、息吹を、、、すっごく感じますね、鳥の化身みたいなんが急に目の前で寝る様子とか、、、自由で放埓で、架空生態的でなんかいいなぁと思いました。こころが、こころのままに、とうぜんのこととして、とけているセカイ、、、ですね、いまのところ。断面的で、かろやかで、詩的。そう、、、作中に出てきたこの言葉なんかが、あんがい、、、作品世界のことわりを示している、いい言葉なんじゃないかと思います。

 僕にとってアレはエサだけど、、、
 杖もそんなで
 丸腰の君は
 アレのエサに、、、

 言葉を、意味として伝えること以上に、リズムとか、言葉のかたちをおもしろがってつくっているようなセリフですよ。ちなみに、アレは生き物らしいけど、なにかははっきりしない、万事この調子で、第1話全体の様子もそうやし、ずいぶん地上重力的になったとはいえ、依然、第2話もそうで、”アレ”的(そのものが説明的に提示・描写されるのではなく、絶えずナニカに対して指示的・媒介的)であって、つうじょうの意味の伝達より、ほかの表現性が優先されている、、、って感じですね。単に断面としておもしろい、、、だけじゃなく、意味の連続(物語性)みたいなのを獲得していくのならば、今後、すっごいおおきな作品になると思うんですけど、、、。
 いまげんざい、飛躍的な、詩的感性が、1話、2話───、と、ぴかぴか光っています。センスもりもりっ、でしょう。ぜひぜひっ、つづけていってほしいですね。