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どうもどうも! くれおですっ。
 スミスケせんせい、『主無し、暗闇にて』───。
 ふへ~、はぁ~、う~ん、絵がまあ、まず、いいですよね、いつもながら。清潔で、整ってて。しかしひと(ロボ)にとくちょー、希薄、でしょうか。造形に、表情に。まあ、(今回の作品、あるいは、スミスケワールド自体の)特性として、それでいいのか、な。どうかといえば生気のうすい、、、まえに出てくることのなさ、がありますかね。あんまりこれまで読んできた感想とかわらんかもしれん、おれのぉ。そう、、、いろいろな医療のとかなんとか能力を発揮するメアリーと、ひとに性的充足を、、、みたいな能を発揮するアイという、それぞれロボ、、、が出来てきますが、読んでいるうち、そういういかにも超高度機械能みたいなんは(なんか熱感知能力とか)はっきりありますが、かれらの物語の終盤での様子なんかを見てると、ロボなのかなんなのか、というか、作者にとって、そもそも、ロボとは何なのか、ひととは何なのか、という線引きが、不明、そう、不明中の不明、に思えますね。それがロボであれ、人間であれ、まあ、そういう外的な能力あれど、(とりわけ内的な)差異(主張)みたいなのに行き着かない、だから、いうならば、メアリーも、アイにしても、へんな、、、中途半端な、、、生命、ぽいです。ロボというに人間すぎるでしょう、といって、たからか、人間じゃないとあえて宣言(設定)されているわけやし、、、主要なるそれらが、かく、半端で、読者はかれらがロボである意味を、いったい、どうみればいいのでしょう? やっぱり、ロボと、ひとの、住み分けの不備でしょう。そのへんが、大胆にも、まるきり、ほったらかしになって、提出されているような気がします。そうですねぇ、、、たとえば、人間自体に炊飯能力はないわけですが、ジャーという外的道具を使って炊飯する人間、と、炊飯能力をそれ自体としてもつ人間型ロボ、人間とメアリーの差異は、(たった)これだけじゃないんですかね。いってることやってること見てても、ロボとしての制約(意味)をさほど感じない、、、。主題が分散する、世界が収束しかねている、、、ような理由が、このあたりにもあるんじゃないですか。ものがたりが不定で、ロボとか、人間とか、世界、、、その近辺を、思想(生き方・世界への対峙のしかた・実感)が成熟する以前の段階で、さまよってる、って感じかな。見る目に、おおむね建築されているセカイ、、、でも、そのどっかすみっこから、絶えず漏れて出てしまっている、、、世界成立その可能性が。
 作者がみずから突き動かされて(のはず、、、)表現しようとする、ロボとは何なのか、が、わたしにはわかりません。ロボという、ほぼ、人間がいるだけじゃあないでしょうか? 直接、表現が人間のこと、とならない理由が、作者の生に内在しているはず、、、そして仮にもそうだとするなら、そういうものが、まあ、、、作品世界に巻き込まれてるという形で、浮かび上がってきてない、、、ですね。大体できている、、、けど、思想の、ハンパな(未成熟な)世界、ひととそのひとがつくる作品との相関の、駆け引きがみられる、過程的な世界、でしょう。もっと引いて客観的に、パーフェクトなものに近づけていくか、もっともっと、おのれというものを出して、主観的・情動的なものにしていくか、せねば。